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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第071号 ’00−12−08★
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それで良いのか?
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●「おたすけマン」は
基本的に企業の管理的職へのお手伝いを目的としていますが、
ちょっとしたご縁で、<ピースマインド>というカウンセリング・
サイトの窓口を一つ担当させて頂いており、そこでは何によらず
承っております。 中で多いのは、大学生の進路相談。 成人
年齢を過ぎて「私は何をすれば良いのか?」を考え始めるという
<幸せ>な人たち、、
平和か豊かさか知りませんが、そんなことで良いのかなあ?
<化石>には小学生当時、すでに結論を迫られたテーマでしたよ。
*
技法で評価すると、
MUST や WANT を無視して(大学という)手段を選んでしまったこと自体が間違いだった、と言えますが、そんな
基本的なことも教えないのを<義務教育>と呼んで良いのかなあ?
しかしそれが現実なら、それなりに対処するまで。 そこに4年
いたのだから、何も無いわけ無かろう。 それにもとづいて現在
の
MUST 、 WANT を見定め、それらを実現するには、、 で「何をすべきか」を見いだして行くのみ、でしょうな。 ただ、
今まで一度も使わずに来た脳の回路がその負荷に耐えられるのか、
個人差もあることだし、当方は知りようが無い。 取りあえず
アタリマエに考えればこうでしょうね、 と答えるのが常ですが、
どう受け取られていることやら。 それっきりになる人が多い。
どう結論したのか気に懸かるが、<その後>を聞かせてくれた人は
いませんな。 一期一会、、? でも、それで良いのかなあ?
* *
ところが先頃、フツーでない例が一つ。 思考回路が(技法的に、
と言えるほど)出来上がった人からの相談がありました。 ただ
困るのは、彼の出会う相手がそれを喜ばない?らしいこと。
将来は貿易業を営みたいが、当面<営業>志望で就職活動中という。
面接まで漕ぎ着けても、何故か落とされてしまう。 いったい何が
良くないのだろうか?と。 (落とした人に訊いて欲しいな)
それは多分、<波動の一致>が無かったからでしょう。 従って
必要なのは、何故<一致>しないのか?の解明。 まず私なりに
段階的に分類した上で、本人の記述、
「しかしながら私自身、変わった考えを持っているせいか、、」
「面接、論文等、自分の考えを述べる段階で落とされてしまう」
に重ね合わせ、
b: (あなたが<相手の求めるもの>をお持ちでも)それ以上
に<相手が特に求めていないもの>が溢れ出るほどあり、
差し引き、あるいは相対的に、a:と似たことになる。
に相当すると思う、としました。 <a:>はもちろん、<相手
の求めるもの>を彼が具えていない場合、です。
(c:、d:は、ここでは省略)
この人は古典や歴史物が好きという読書家。 思索傾向の人。
体育会タイプではなさそう。 そのせいか、
「あなたは若者らしくない」と言われる、とも。 相手さんは
<当節風の若者>を求めていたのでしょうかね。 軽いノリの、
ネアカ風の、、、
彼は「何をもって若者らしいとするのか」と疑問を呈しているが、
とにかく相手さんには<営業志望の若者>らしく見えなかった。
<らしい>のが必ず<営業>向きとは言えまいが、採る側はそう
見るのでしょうね。 でも、それで良いのかなあ? つまり、
* * *
<らしい>というのも、今までの諸条件への適合において、の話
でしょうからね。 <諸条件>が様変わりだから、<らしさ>
の基準も変えよう、、 と採用側は考えなくて良いのだろうか?
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●面接で何を述べたのか
具体的には知る由もありませんが、彼は
「業務上本質的な経営戦略やリスクの少ない堅実な方法、また、
失敗しても最小の被害に抑えられるように回避策も考案できる
社員の方が有利なのではないかと考える」と言いますから、
無意識的に相手を批判するかのような雰囲気が滲み出たのかも
知れない。 本人は、その分析的思考能力が評価されないはず
は無い、と信じているが、審査する側の感じ方は別でしょうな。
審査者が営業系のベテランだと、、 という想定で、私は
<日本的営業>の世界では、あなたのような考え方や姿勢は
<ヤル気が無い>とか<腰が引けている>と見られることが
多いのです。 それが「若者らしくない」という判定にも、、
と答えました。 そして、
<バブル>が生じたのも、それが崩壊したのも、JCOも
雪印も、あなたのような考えの人があまりにもいなさすぎた
からではないか、と思います。 どうか自信を持って下さい。
とも書きました。 しかし彼は、
*
<自分>が認められなかったことがよほど不本意だったらしく、
「痛い思いをしなくとも学習できるのが人間です。 本を読み、
過去と照らし合せ、頭で考えれば、未来は予測できる、、」と。
いやごもっとも。 ほとんど講師並みですな。 そこで、
全くその通り。 それはケプナーとトレゴーの
< RationalProcess >という技法の<潜在的問題分析>そのままです。
今は<失敗が許されない時代>、そのようにアタマを働かせ
られる人が本当は必要なのです。 が日本人は、<万一>を
考えて備える、ということが好きでも得意でもない。
特に営業系の人はいわば<ユメと希望>の人生なので、不吉
なことは殊更考えたがらないようです。
と励ましたりなだめたり。 そんなところへ、自動車メーカー
H社勤務の末息子が、出張の帰途一泊して最近の経験を語る。
「いかにも無謀な案が決定されたので、<万一>に備えるべし
と唱えたら、「後ろ向きだ」と言われてしまった」。 本人は
「先の心配は<前>を向いてこそ出来ること。 こちらの方が
むしろ<前向き>なのに、、」と残念がっておりました。
製造現場ですら<それで良いのか?>を欠き、慎重を期そうと
する者は<消極的>と決めつけられる。 まして営業系では、、、
だから(末息子ではない方、相談者の)彼が
「現時点での自分の器量、力と言うものを的確に把握し、それ
に基づいて危険を予測し、できるかできないかを考え、細心の
注意を払って、、」と言うのに対しては、
そうするのが大切。 しかしそれでは<営業>は出来ない、
と<日本的営業>スピリットは言うだろうと思います。
「これは経営分野でも言える事ではないでしょうか。 経験、
知識、予測、リスク、危険回避を重視し、、」に対しては、
まことにその通り。 そうでなくては、今どき、経営は出来
ないと思います。
こう先手を取る相談者は珍しい。 しかしその彼、自分の考え
を友人にぶつけてみたところ、
* *
「ネガティブだ。 アクティブになれ」と言われてしまった、
と。 つまり、<日本的日本人>が非日本的な彼に<日本人に
なれ>と。 しかし彼は
「アクティブな性格はおごり高くなりやすいと考え」、ノル気
になれない。 実際、そう見えてしまうことはある。 で、
それに当たると思いますが、これまで<日本人はゴーマン>
という良くない国際評価を得ていますよね。
と頷く。 しかし「なぜ、こうなる前に逐一周りを見なかった、
と反省するときが必ずくると思う」と言うのに対しては
<必ずくる>ことはありません。 <日本人>はこんな閉塞
状況に至ってもまだ本当には反省していない、でしょ?
と言わざるを得ない。 何故なら、彼の
「アクティブな性格は、落とし穴や罠にかかりやすい脆い一面
も持っています。」が、すでに現実化していますからね。 で、
その通り。 欧米人の仕掛けた罠にかかったでしょ?
そして半世紀の努力を水の泡にしてしまったでしょ?
<前向き>とは、向こう見ず。 考え無しの「イケイケ!」。
現今の残念な状況はその<成果>です。 もちろん彼はそんな
流儀について行けない、いや、行く気になれない。
「私はどうもアクティブな行動に疑問を持っています。」と。
分かるよ。 でも君、その手合いに雇ってもらおうとしている
んだぜ。 そこじゃ、それで生きて行くほか無かろ? で、
* * *
その<疑問>に基づいて、将来的な対策を準備すべきなの
です。 問題は、それが誰に認めてもらえるか、、
それは神のみぞ知る。 まず自分の希な特性を信じ、それ
を磨く。 また、それを発揮する場面を慎重に選ぶこと。
即ち、<日本人>たちとモメないように心掛けること。
<就職>は一つの手段に過ぎない。 必ずしなくてはなら
ないものではないが、するなら外資系コンサルタント会社
の方が。 彼らなら、あなたの特性を歓迎するかも。
読者にはいつも申し上げていますが、
Rational Process はアチラの世界でのルール。 そこでなら、振り回してもトガメ
にならない。
ともかくも第1回目はそんなことでした。
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●第2回目には
彼の<反省>が感じられました。
「私自身、、、典型的な日本人だと、、、その日本人的考え
が外国には通用しないのではないか」と思っていたが、前記
から、「<日本人>という概念が別にあり、、、自分がそれ
ではないことに驚きました。」と言う。 そこで、
今の日本にいて違和感や疎外感が無いとしたら、それは
その人がまさしく<日本人>であることの証拠。
曾野綾子の言葉だったと記憶しますが、「狂気渦巻く中、
ただ一人正気を保つ、これを可哀想と言う」
あなたの心中も、そのようなものではあるまいか。
と応じましたが、実は私自身も<可哀想>の一人だからです。
そして彼の「具体的には、どういう態度で日本社会に入って
いけば良いのでしょうか。」に対しては、
まず、ケンカしないこと。 多勢に無勢、勝ち目無し。
しかしあなた自身を根本的に変える必要はないし、それは
第一、出来ない相談、というものです。
あなた自身の特徴的な部分や特技は目立たせず、ひたすら
相手が求めるものを提供することに徹するのが基本。
相手の期待が何か、が分かれば、それを満たすことくらい
あなたにはわけも造作も無いでしょう。 あなたにおける
問題は<相手の期待>が正しく把握できるかどうか、です。
即効性を狙うなら、心理学は取り入れるべきでしょう。
まず基礎知識を少々、次に応用ノウハウを。
人間性を理解するための知識があれば、相手を客観的に
見ることが出来ます。 そうすれば、ハラが立つことも
少ないし、ストレスを転化することも出来ますから。
こういった<人間関係学>、大学のカリキュラムには無いが、、
本当にそれで良いのかなあ? それが無いから彼の
「今まで、悩み事にどう対処してきたかをお聞かせください」
になるわけですが、私のは私流。 彼もまた自分で編み出す
ほか無い、、 とは思ったが参考までに、
相談相手が少なく、書物に頼らざるを得ませんでした。
読み方としては、波長の合う著者に出会ったら、その人
の本は次々、全て読んでしまうこと。 その方法で私は、
会田雄次教授の「日本人は決して上等な人種ではない」、
渡部昇一教授の「日本人はかなり優れている(いた)」、
岸田秀教授の「人間とは、まあ、こんな程度のもの」、
といった論点を詳しく学びました。
その結果、私は、基本的には誰のことをも尊重する一方、
その相手を突き放して眺めることによって平常心を維持
することが出来るようになりました。
と申し上げた次第。 答えとしての<それで良いのか?>
は残りますが、考え深い彼だから補ってくれるでしょう。
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●今回はたまたま<12月8日>号、
<化石>には忘れようもない大東亜戦争開戦の日です。
昭和16年、小学校に入っていきなり、ではあったけれど、
それ以前シナ事変で父を戦場へ見送っていたので、恐怖は
無かった。 大人たちはむしろ躍り上がって喜んでいた、、
結果は惨敗だったし、それについては沢山の本が出された
あとですから、私ごときが付け加えるのは蛇足というもの。
しかし言わせてもらうなら、日本人は昔から<日本人>で
ありましたな。 Closed-minded で、Self-centered 、
バランス感覚が乏しくて、前後左右への目配りが無く、、
向こう見ずにイケイケ、それで良いのか?なんて考えない。
戦後、復興を目指した時もそれだったし、ITの今も未だ、、
全く進歩が無い、というか、究極のロウ・テク、というか、、
その意味では何とも<人間>味溢れた民族ではありますな。
*
あの時の<世界を敵に回す>という選択、何が<狙い>で
あったのやら。 最大の
WANT が、気に入らない奴らに痛い目を見せてやりたい、でしかなかったかと思われるが、
こちらが気に入らないのと同じかそれ以上に、相手もまた
こちらを気に入ってはいなかったはず。 相手側の目に
映っている自分(たち)を全然見なかった、のでしょう。
しかし、行動を起こさせるのは感情であって理性ではない、
と言う通り、行動に走った日本は明らかに感情先行でした。
理性的判断、即ちDAの段階はすっ飛ばしてしまった。
せめてマイナス影響だけでも思い浮かべていたら、、、ね。
* *
しかし、始めてしまった戦争なら、もうまっしぐら、勝ち
に行くほか無い。 なら、PPA! もちろん行動に
先立って行なうべきではあったが、途中からでも可能、、
次の段階はこれ、そこにはこんな障害があるはず。 なら、
こういう予防対策を。 そして万一に備え、こんな緊急時
対策を、、 何しろ総力戦、みんなで知恵を絞るべき、、
だったのだけれど、あまりにもお粗末でした。 意思決定
最大最多の誤りは<希望的観測にもとづくこと>ですが、
それが長く尾を引き、あるいは自己弁護のため、
不利な報告をすべてはかない期待の蔭に閉じ込め、事実の
把握、現実の直視を怠った。 そして確たる根拠無き判断
に基づいて命令を下した、、 まさに破滅への一本道。
* * *
それが半世紀を経て、そっくりそのまま健在。 懲りる
ということが無いんだ、この民族は。 実際はバカでは
ないのだろうが、卑屈で謙虚さに欠け、学ぼうとしない、、
その<日本人>の目には頼りなく見えるのかも知れないが、
賢い若者は結構いるし、出番が授からなくて悶えている。
それで良いのかなあ? と首を傾げている彼らに、せめて
PPAだけでも、やらせるわけにゃ行きませんかね?
加藤紘一センセイも散々考えた上で行動されたのでしょう
が、事前の網羅徹底を欠きましたな。 せめて、それで
良いのか?くらい、念押しの一考を加えるべきでした。
やはり技法で鍛えなくちゃ、技法ですよ、、
■竹島元一■
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